ライデル・マルティネスの家族、250セーブの瞬間を見守った妻と息子の感動の舞台裏。

2026年9月10日.

東京ドームで、読売巨人軍の守護神ライデル・マルティネスが1つの大きな記録を打ち立てました。

通算250セーブ。

NPB史上6人目、外国人投手としては初めての快挙です。

しかも、29歳での達成は史上最年少。

411試合での到達は史上最速でした。

けれど、この日のマルティネスを見ていると、記録だけでは語れないものがありました。

それは、ベンチで見守っていた家族の姿です。

250セーブを見届けた妻と息子

この日の東京ドームには、ライデル・マルティネスの妻、リリエンさんと息子のルーカス君の姿がありました。

ライデル・マルティネスが最後の打者を抑え、250セーブを達成。

そして、ヒーローインタビューへ向かう父親を2人はベンチから見守っていました。

ライデル・マルティネスはお立ち台で涙を見せながら、達成の喜びをかみしめました。

インタビューが終わると、妻のリリエンさんとルーカス君も一緒にお立ち台へ。

記念ボードを手にした息子と家族3人で、250セーブ達成を祝う姿が報じられました。

この光景に、思わず目を奪われた野球ファンも多かったのではないでしょうか。

「小さなライデル」と話題になった息子

そして、この日もう1つ注目されたのがルーカス君です。

大きなくりっとした目が父親のライデル・マルティネスにそっくり。

ヒーローインタビュー後にはライデル・マルティネスが息子にキスする姿も見られ、ネット上では「小さなライデルそのもの」といった反応も寄せられました。

普段、マウンド上では鋭い表情を見せるライデル・マルティネス。

その姿とは違い、父親としての柔らかな表情。

250セーブの裏側には、こんな1面もあったのです。

海外で戦い続けたライデル・マルティネス

ライデル・マルティネスのこれまでの道のりは、決して華やかなものだけではありません。

2017年、日本に来たばかりの頃は、家族もいない異国の地で生活。

食生活や言葉の違いにも苦労し「日本から帰りたい」と思ったこともあったと報じられています。

それでも踏みとどまり、野球を続けました。

その支えになったのが、すでに亡くなった祖父母の存在だったと本人が語っています。

1人で始まった日本での挑戦。

そこから年月を重ね、今では家族が、その偉業をすぐそばで見届けています。

そう考えると、250セーブという数字が、少し違って見えてきます。

250セーブの先にあるもの

9月19日には、250セーブ達成を記念するセレモニーも行われました。

そこでは、なんとルーカス君がマウンドへ。

父親のライデル・マルティネスと同じ背番号「92」のユニフォームを着て、セレモニアルピッチを務めました。

父、ライデル・マルティネスは自宅でも野球を教えることがあると明かし「しっかり投げてくれてビックリ」と嬉しそうに話していました。

250セーブを達成した父。

その父の背中を見ながら、父に向ってボールを投げた息子。

もしかすると、これから先、この親子の野球物語にも新しいページが加わっていくのかもしれません。

支えてくれた家族

野球選手の記録を見るとき、私たちは「250」という数字に目を向けます。

でも、その数字の裏側には

遠く離れた日本で戦った日々。

苦しい時期。

支えてくれた人たち。

そして、今そばにいる家族。

そんな1つ1つの時間があります。250セーブを決めた日に、ライデル・マルティネスの隣にいた妻リリエンさんと息子のルーカス君。

家族3人で立った、その場所は単なる記念写真の舞台ではなく、これまでの歩みを家族で分かち合う瞬間だったのかもしれません。

そして、今度は息子のルーカス君が父と同じ「92」を背負ってマウンドへ。

父から息子へ。

受け継がれていく野球への想い。

ライデル・マルティネスの250セーブは、ひとつのゴールではなく、家族とともに続いていく物語の新しいスタートなのかもしれません。

 

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